喫茶ゲルボワ

未来の歴史学者へ いつか史料として活用してください

2002年生まれのフィロソフィー

 

このブログの意味

歴史学者の皆さんは史料として使ってください。記録です。

あとあんま人に言いたくないことを書く場所。

 

日記

2024/4/14

卒論とか就活とか、未来のことについて考えつつ、Twitterで牧歌的な日常とか人の好きなものを見て何かまとめておこうと思った。

①漫画

漫画家を志していたし、今も少し志しているが「テーマ」を見つけられず迷走中。妖怪モノ、探偵モノ、ミュータントモノ、陰陽師モノといろんな作品に取り組むも、どれも終わらせ方が微妙だなと思い筆が折れる。

大学で「今はインプットの時期」といっている友達を見て、描くよりいろんなものをインプットしようと考えているが、結局後回しにしているような感じじゃないかと葛藤中。就活や卒論を盾に描いていないが、早く描けと。

 

②ダイエット/筋トレ

だいぶ健康に生きたい。50代くらいまでは無病息災でいたいが、そのためには生活リズムとか食生活を見直したほうがいいと思う。野菜を取ったり、運動したり、お酒を控えたりしていますが、そのうちお菓子も食べずに筋トレをする高校の頃の生活に戻すことが目標。

現在65kgで夏までには60kg目指したいね、、。

 

③美術

アートを実践したい。油絵はハードルが高いからアクリルで何枚か描きたい。特に描きたいのが、いいと思った景色を描いてまとめたい。何かそれが人生の目標とか生きる意味にも繋がる気がするし、満足のレベルでいったらだいぶ高いだろうな〜と。

浅草橋、万世橋、新橋、丸の内、押上、二子玉川金沢八景、箱根とか描きたい。

 

④散歩

金沢八景が出てきたのでその流れで思い出したのが、終電で金沢八景江ノ島に行くエモエモシティポップ散歩したい。こう言うことするような人嫌いなはずなんだけど、嫌いより好きを増やしたほうがいいと、お酒から学んだね。人に寛容になれば自分にも寛容になってくる気がする。東海オンエアのてつやが言ってた「人に優しく、自分にもっと優しく」そんな感じでいれば希死念慮には襲われなくてすみそう。

 

⑤喫茶巡り

私の地元にはいい感じの喫茶店がたくさんあることに気がついたので攻略していきたい。できれば女性と行きたいけど、行く人がいない。喫茶店のことについて考えるたびにこの問題にぶち当たり、悲しい気持ちになる。そういえば酔っ払った時に女性からプローチされたことを自慢する癖やめたほうがいい。これまじで次の日に自己嫌悪に至るからやめな。

 

今日はとりあえずそんな感じ。

(2024/4/14更新)

 

2024/4/17

二日前の月曜に過去最大の希死念慮がやってきてマジで怖かった。コーヒーがぶ飲みしたり、就活のストレスだったり、人生の不安とかが重なった結果?それともさらにその前の一週間くらい躁っぽかったからかな?

酒飲んで躁クワガタとか言って、桜見て、カラオケ歌って、そしたらこうなったので次からどうすべきか悩んでる。こんな時間も好きだからね。

それを乗り越えた火曜日は普通だったね、Twitterかどっかで見た「仕事がうまく行ってない時」に鬱になるって話を聞いて、適性検査とかESやって、バイトもしてってことで心は安らかだった気がする。

そして、昨日からかわいくなりたい欲が半端ない。青髭が気になりますな。

 

ちなみに、今日の本題としては「ソクラテスの死」について。

過去最大の希死念慮に襲われてから「死」について考えてたところ、不満足なソクラテスを思い出したので「ソクラテスの死」について調べたらUTokyo OCWという東大の講義を無料で公開しているサイトに辿りついた。

 

ソクラテスの生と死について考える【私たちはどのようにより善く生きることができるのか】東京大学哲学研究室 納富信留先生

URL:

ソクラテスの生と死について考える【私たちはどのようにより善く生きることができるのか】 | UTokyo OCW (OpenCourseWare)

 

ここで冒頭にソクラテスと神について書かれていた

 

ソクラテスはある日、「知らないということを知っているソクラテスこそが最も賢い」 という神の声を聞きます。

 

自分より賢い人がいるはずだと信じたソクラテスは、様々な人物のところに尋ねて行き対話を重ねることで、この信託が間違っているということを示そうとしたのです。

 

(これ下げれないんすか、論文の引用みたいな感じで?)

ってことで、ソクラテスが哲学を始めたきっかけは神の信託だったとか。

まあここまで読んでる人は気がついてるかもしれないけど、僕は考えることが好き、というかいつも何か考えてるタイプの人間です(だから鬱っぽい性格になるんだろうね)。

そうして、何かいろんなことを考えてるとパッとアイデアが湧く瞬間がある。

ソクラテスが神から受けた信託って、実はこのパッと浮かぶアイデアなんじゃないかなって。

このOCWの講義にあるように、ソクラテスが処刑されたのは不敬神の罪によって。でも、そのソクラテスにすら神は信託を与えたんでしょ?

 

別に神を信仰していないとか、存在を疑いたいから言っているわけではなく、世にあるアブラハムやイエスムハンマドといった預言者は、神の信託から自覚して宗教を始める。それってある意味「この世をよくしたい」みたいな目標から始まって出たアイデアが「教え」だったんじゃない?自分の思う「理想の世界」を実現するために「教え」を「布教」する。実はそんな意図があったんじゃないかな、と考えたりした。

ソクラテスの目的はより良い世界の実現というわけではなさそうだったけど、まあそれでも俺みたいな人間は多少救われているわけなので、宗教と同じようなパワーを持ってるんだろうな。きっとそれは、一つの答え、歩き方の例として存在することで、路頭に迷った時、一本の道があるだけで心が軽くなるような感じなのかもしれない。

 

眠くなってきたのでここら辺で。

(2024/4/17更新)

 

2024/4/18

やあ!

今日は一週間ぶりに大学へ行き、ゼミで卒論テーマを発表した。めっちゃ楽しかった。

大学のゼミをこんな楽しんでるのって珍しいんじゃないかな?俺の周りだと結構そういう日と多いんだけど、他大の人とかの話を聞くと意外とみんなゼミ楽しんでないというか、ゼミで会うのは好きだけど〜って人が多いイメージ。

まあそれはいいとして、今日は散歩について。

 

散歩が好きで朝起きてシャワー入る前にぶらぶらして、帰りにドトールでLサイズのコーヒーを買って帰るのが最近ルーティーンのようになっている。

月ノ美兎の散歩動画を見て、そこからちまちま散歩するようになって、四年の今は大学が週1,2なんで毎朝散歩って感じになってる(だいたい昼起きなので実際は昼)。

でも、久々の大学でいつも歩くようなルートを歩いたところ、同じ道、同じく歩くという行為だったんだけど、散歩とは違うな〜なんて思った。

散歩する時は音楽を聴いたり、街の音を聴いたりしながら、空見たり景色見たり、人間観察したりしてて、「みんな下向いてスマホ見てるけどもったいないな〜」と悦に浸っていた。でも、今日の俺は下向いてスマホ見てた。

あ〜これが「移動」なんだな、目的もなく気ままに歩く「散歩」と、出発地点と目的地までの作業というか、必要経費?そりゃスマホ見ますわ。

今日は今一番聴きたい音楽を探してたら家についていたけど、漫画読んだり、SNSみたりしてたことあるな、と。ここで以前、小湊鉄道に乗って養老渓谷まで行ったときはスマホ触らなかったことを思い出した。友達と行ったからまあスマホは触らないんだけど(人と一緒にいる時はあまりスマホ触らない派だし)、それは電車に乗って移動するとこまで含めて楽しめる小旅行だったんだなって。

ここからは想像だけど、今新幹線乗る時って駅弁買って、景色見て、目的地を想像したりするけど、もし俺が芸能人で東西を行き来するような生活をしてたら、きっとスマホ見たり、目的地なんか想像しないで仕事のこと考えたり、そんな風になるんだろうな。

次の朝からは散歩を享受しながら徘徊しましょうか。

 

眠いし明日適性検査だから今日はこの辺で。

(2024/4/18更新)

 

2024/4/21

こんばんは、こちらは深夜四時です。

今日は風邪?片頭痛?なんか体調不良でダウンしてたら1日が終わってました。

少し攻撃的になってきて、社会問題について考えていたらやるせない気持ちになって寝れなくなっています。

こうして考えても(すぐには)答えが出ないし、自分一人ではどうにもできない問題って考えてもしょうがない(考えすぎて嫌な気持ちになるような人間性だ)から、まあどうしようもないって感じ。

すぐに答えが出ないし正しいか正しくないかが議論されている状況で、それを実行する意味があまりわからない。ある程度の議論や予想が一通りされてから進めれば良いのに、人ってすぐに結果を求めたがるから仕方ないんだろうけどね。こんなことを考えているうちに朝の四時、社会不適合者なのを実感させられる。

 

ところで、なんで『浮世の画家』の先生は享楽的な生活をして廃退的な作品を描いたんだろう。(あの絵が廃退的かどうかは明言されてるのか知らないんだけど、、、)

主人公小野益次は松田と会話を重ねていく中で、芸術家の社会的な役割を自覚し、戦争画で画壇の大物となっていくわけだけど、、、そんな小野は元々美人画を描くモリさんに師事していた。モリさんは日々酒と女を嗜む享楽的な生活をしていて、そんなモリさんが描く美人画は少し廃退的な雰囲気を感じる(個人の意見)。『浮世の画家』はNHKでドラマ化されていて、そこで宮崎優さんという画家の方がモリさんの美人画をヴィジュアル化していた。どうやら橋口五葉を参考にしたらしいけど、まあなんと艶かしい絵だわ。

小野はそんな享楽的な生活をするモリさんと決別するわけなんだけど、モリさんはどうも達観した感じが出てる。小野は新進気鋭というか、燃えたぎる情熱を持った青年で、若々しさを感じる。その若々しさや情熱は青年芸術家に社会的な役割を与え、その熱狂は、戦後の後悔に繋がっていってしまう。この作品を読んだ人で小野の選択を批判する人はいないと思う。カズオ・イシグロがこの小説を書いた当時を振り返る文とか読んだらわかるけど、その通りだから。

じゃあ一方で、モリさんはというと毎晩酒と女、社会的な役割を自覚する小野からしたらまあありえないよね。でも、それも間違いじゃないと思うわけ。モリさんが描こうとした女性像って、古今東西どこでも描かれてきたものなんだよね。浮世には現世っていう意味があって、だから小野は浮世の画家なんだけど、ある意味モリさんは浮世離れしてるよね。美人画という画題は普遍的なもので、誰もが共通して持ちうる価値観としての美を描こうとしている。それが毎晩の酒と女を嗜む生活であって、人間としては不真面目に見えても、描きたいものとは向き合ってるような気がする。

社会の抱える問題、闇を見て明るい方へ進むために絵を描いた小野。その一方で、明るく、抱える闇を飲み込むような酒と女。誰もが羨む美としての美人画を描いたモリさん。何が正しいのかよくわからなくなる。そもそも正しいとかそういうことも考えていてもしょうがないものなのかもしれない。だからこそ、そこに向き合うものに魅力を感じるんだろうなと考えた。(そういえば、”正しさとか、そういうものに正面から向き合う作品の方が好き”というTweetを見た気がする。確かに、と思ったことを思い出した。)

近代に生まれた以上、人間は誰しも社会と向き合っていく必要があるわけで、そんな中で浮世離れした選択をしたモリさんと、浮世の画家であることを選択した小野。それはどちらも正しい選択というか、間違ったことではないと思いたい。

未来に向けて選択を迫られた若者は『浮世の画家』をこんな感じに見ました。

 

以上『浮世の画家』の感想でした。

 

(2024/4/21更新)